2008年07月31日 15:59

昭和十三年一月五日の新聞広告
市松熱が盛り上がっていた勢いで、先日新たに昭和初期の女の子を購入しました。
ちゃんとした所謂人形店ではなくリサイクルショップのような所からの購入だったので、びっくりするようなお値打ち価格でした。
早速、着物を脱がして胴紙や手足のチェック。
傷もヒビもなく、しいて言えばお顔がほんのり時代によるくすみが有る程度で、またまたびっくりする事に指先にはしっかりと丁寧な爪切り(指の皺や爪の細工造形の事)が施されていました。
因みに銘は「都印」。
銘にはあまり詳しくないけれど、これはどこかのメーカー名なのかしら?
そして、銘の下には赤い桜マークが可愛らしい「人形液」のシールが。
道理で、汚れの少ないこと!
人形液とは、胡粉のお肌を保護するために作られた塗装液らしく、昭和十年代の数年間のみ使用されていたようです。
なぜ使われなくなってしまったのかなぁ…と思いつつ、胴体に巻かれていた新聞紙を見ると、そこには昭和十三年一月五日の日付で生々しい大戦の様子が書かれていました。
そして新聞広告にすら、「最新式防毒マスクを備えませう」やら「麻薬の治癒薬」やら、その世情があらわれています。
思わず、「よくぞご無事で…」といちまさんに合掌してしまいました。
厳しい時代を歩んできた市松さん、そしてその時代に人形を作り続けていた職人さん、一体どれ程の苦労があったのでしょう。
人形液の消滅は、そういった悲しい歴史にも左右されているのかもしれないと思いました。
こうして今私の手元にある市松さんの奇跡。
大げさかもしれないけれど、作り手として感動を覚えずにはいられません。
大切にしていた持ち主と、何より職人さんの確かな腕があってこそ。
おこがましくも、私もそんな人形が作れるようになりたいな、素直にそう思うのです。
形有るものは破損の宿命から逃れえないけれど、確かな技術は作品の寿命を長いものにする事が可能です。
表現としての作品を作る事と同時に、しっかりした品質の人形作りを心掛けていきたい…という思いを一層強く与えてくれる、市松さんとは私にとってそんな存在でもあるのです。
「小娘が生意気な!」
御年70才の市松さんには、いたらぬ私でありましょうが。
最近のコメント